去ぬ子らの尾灯滲ませ秋時雨

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  • みのる:情況は明確ですが俳句としての季感をどう捉えるかが鑑賞のポイントだと思います。秋時雨の季語があてられているので秋のお彼岸でお墓参りと実家の両親の存問をかねて離れ住むお子さんの一家が帰省されたのでしょう。時雨に滲む車の尾灯が見えなくなるまで見送っています。みなさんの鑑賞通り写生の中にちょっと寂しいなという作者の主観が包み隠されています。まさに掌俳句ですね。 - 2024/03/29(金)
  • むべ:作者のお子さんやお連れ合い、またお孫さんが遊びに来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、夕食後、帰路に着くことに。見送りに外へ出ると、お子さんたちの乗った車のテールランプが雨で滲んで見えます。時雨は冬の季語ですが、ここでは「秋時雨」。時雨ほど強くなく、また秋雨ですと朝から長時間にわたり降っていますが、秋時雨なので急に降り出した感じがします。季語の持つうら寂しさと、作者の気持ちをつい重ねてしまいますね。 - 2024/03/28(木)
  • 康子:「去ぬ子ら」そして下五の「秋時雨」により静かで物悲しい雰囲気が伝わってきます。尾灯に焦点をあてそれが滲んでいる、という表現方法に感服します。時雨の中、夜道に遠ざかるテールランプを見ながら子供達見送っている。もしかしたら涙しているのでしょうか。静かな家となった寂しさや、子供達の幸せな未来への願い、などなど複雑な親心が感じられます。心情の言葉がないにも関わらず、感情が素直に伝わってくる句でした。 - 2024/03/28(木)
  • 澄子:中七「尾灯滲ませ」が秀逸。車で帰る子供達一家を夜中 雨の降るなか見送り、秋雨に濡れ滲んだ車の赤いテールランプが、遠ざかり闇に消えてゆく様を ずっと見送っている作者の姿が浮かびました。別れの切なさを感じます。賑やかだったが故なんともいえぬ深閑とした静けさや胸中の寂しさが胸に迫りくる御句だと思いました。季語「秋時雨」がとても美しく感じられます。  - 2024/03/28(木)
  • かえる:お子さんたちが帰ってきて、賑やかに過ごされたのでしょうね。待ちに待った楽しい時間もやがて終わりが来ます。秋時雨に滲む尾灯が見えなくなるまでお外におられる姿が浮かびます。寂しいという言葉や直接的な比喩を一切使ってはいないのに、胸に迫るような寂しさを感じます。 - 2024/03/27(水)